国際いけ花協会とは

国際いけ花協会が誕生するきっかけとなったのは、創立者・大野典子(マダム大野)のそんな「願い」でした。そして、終戦間もない昭和20年代、海外へ渡ること自体がまだまだめずらしかった時代に、マダム大野は、ブラジル・サンパウロ四百年祭に外務省の文化使節として、単身羽田を飛び立ちました。

ハワイを筆頭に、アメリカ、中南米、ヨーロッパ、中近東、東南アジアと、文字通り、世界中にいけ花の素晴らしさを伝えることに成功して帰国した1955年、たくさんの「えにし(縁)」がはたらいて、「国際いけ花協会」と「国際いけ花学院」が誕生したのです。

国際いけ花協会は、どの流派もすべて包括し、個性を尊重した総合芸術としての「いけ花」をこころざし、今に至ります。その間、在日大使館の後援で開催した、227回にもおよぶ国際いけ花チャリティーショーでの収益を日本赤十字社に寄附するなど、国際社会にも貢献してまいりました。

マダム大野没後も、各種イベントや、国際いけ花学院教授による外国人、日本人高齢者や児童生徒に対する「いけ花」指導、ボランティアなどの多彩な社会貢献活動を行っております。

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協会の基本理念

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国際いけ花協会は1955年大野典子(マダム大野)により設立されました。
基本理念は、「花を愛する心、人を愛する心」です。いけ花の伝統を守りつつ、流派を超越し、個性を尊重した総合芸術としての「いけ花」です。
花は世界の共通語でもあります。花が語る真実の愛を世界中の人々に伝え、平和を願って、友情の花の輪を大きく広げてゆきたいと思っています。

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創始者・マダム大野のご紹介

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 国際いけ花協会・国際いけ花学院の創始者である「マダム大野」は、1954年に「花の使節」として、単身ブラジルに渡り、現地にいけ花旋風を巻き起こしました。

 ブラジルで大成功を収めたのち、ヨーロッパに渡り、以後世界各国でいけ花の指導といけ花展を開催し、グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーン、シンプソン夫人、ファビオラ王妃、藤田嗣治、シャガール、ヘンリー・ムーアなど、世界のトップレディやトップアーティストとの友好を深めるなど、いけ花を通して国際交流に努め、流派を超えたいけ花親善大使と称されました。

 ブラジルをはじめ諸外国より多数の勲章、名誉市民の称号受賞。1964年以来には、在日大使館後援によるいけ花チャリティーショーを200回以上開催し、その収益を日本赤十字社に寄付してきました。

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マダム大野の経歴

1920年3月17日岩城悌(元尾鶯市長)、今恵の長女として東京に生まれる。
1937年古典いけ花(立華)及び現代いけ花(盛り花、投げ入れ)の基礎研究(16歳―雙葉学園在学中)
1954年ブラジル、サンパウロ400年祭にいけ花文化使節として参加後、世界中を約1年間文化使節として花の旅を行う。
1955年フランス政府招待を受け、初のいけ花展を行う
帰国後「国際いけ花協会」及び「国際いけ花学院」創設
1958年ベルギー、ブリュッセル万国博覧会に日本文化使節として参加
パリ、ミューゼチェルヌスキー美術館にて個展を開く
1963年光文社「女性自身」の特派員として世界のトップレディーをインタビュー
ニューオルリンズ名誉市民(アメリカ)になる
1964年日本赤十字社、在日各国大使館にご後援で月例チャリティーいけ花ショーを始める
1965年国際いけ花10周年花展を開く
(京王百貨店)以後、5年毎に大花展開催
1966年モナコのモンテカルロ100年祭に招待される
1967年中央公論社「婦人公論」の特派員としてインタビュー(世界のトップレディー、テーマ「世界をいける」)
1973年花の城(国際いけ花会館)南青山に誕生
1975年国際交流基金よりブラジルに派遣され、ブラジル国より文化勲章を受賞
1979年イタリーの花の旅(サンタマルガリータ、シシリア)友情の金メダルをイタリア政府より受賞
1981年ブルガリアカザンラック名誉市民並びに平和文化賞を受ける
ブルガリア1300年際にブルガリア政府より招待される
ベルギーECホールにていけ花デモンストレーション(外務省後援)
1983年シンガポール赤十字ゴールドメダル受賞
パリ・ユネスコ本部にて1000回記念いけ花デモンストレーション(外務省後援)ユネスコより友好賞を受賞
1984年日ソ円卓会議に出席、ターリン、レニングラード、モスクワで花展(ソ連招待)
1985年ブラジル南十字星章(文化勲章)受賞
ポツカツ市名誉市民(ブラジル)となる
東海大学短期大学部講師に任命される
1986年外務省国際交流基金派遣によりアッシジ(WWF野性生物基金25周年)他ヨーロッパ各地にいけ花文化使節として花の旅
1987年ニュージーランド・日本デー、オーストラリア・シドニー国際いけ花支部にていけ花デモンストレーション
1989年バルト王国、エストニア(ターリン・タルツ)、ラトビア(リガ)、リトアニア(ヴィルニュス)に招待される
ベルギーのユーロバリアジャパン’89に文化使節として参加、ファピオラ王妃に王宮にて献花
1990年大阪“国際花と緑の博覧会”に出展
1991年ブラジル、サンパウロ名誉市民、サンパウロ州の鍵受賞
ロンドン ジャパンフェスティバルに参加
1992年外務大臣表彰を受賞
モロッコ、ララ・マリアム王女の御前でいけ花デモンストレーション
1994年中南米4カ国ニカラグァ、ヴェネズエラ、キューバ、ドミニカ花の旅
キューバ文化大臣より文化栄誉賞を受賞
1997年7月7日永眠。享年77歳

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